しおつぶあまみ+1

Twitterよりディープなおしゃべり

インクは人間の血でできている

ブログを書こうと思ったが、書きたいことややりたいことはあっても、漠然としているし、いざやろうとすると準備が足りなかったり、根気が持たなかったりして、なかなか形になるものができないし、形にするだけの能力や気力がない。だが、何が一番、欠けているかを一言で表すならば、それは「覚悟」の2文字に要約されうるだろう。

 

オープンな場所で、誰かが見る可能性のある状態で表現をすることは、自分以外が目にするのことのない日記や読む人が限られている書簡を書くこととはだいぶ違うものがあるだろう。まず、リスクが違う。そして、読む人がどう受け取るかも問題で、私はまだまだ未熟者であるが、子供と言える年齢でもないので、読む人が間違った知識を身につけたり、偏った思想へ傾倒しないよう、注意しなければならない。

 

こう思うだけならば何も書かずに黙っていればいい話なのだが、それでも衝動的に何かやりたいという浅はかで向こう見ずな気持ちがこの文章を書き上げている。この時点で、覚悟という言葉と自分がとても遠くかけ離れていることは容易に理解できる。

 

ところで、覚悟とは何だろうか?これは辞書的な意味で済ませておくこともできなくはないが、持ち出した以上、あいまいなままにせず、自分の言葉で定義しておく必要があるだろう。

 

まず、こういった言葉に犠牲はつきものであることは確かだろう。何もリスクを背負わず、傍観者や無関心のままでいるならば、覚悟をするシチュエーションに直面することもあるまい。

 

しかし、文章を書く上で必要な覚悟とは何か?炎上する覚悟か?誰にも見られない覚悟か?確かに炎上やノーコメントは辛いが、それ以上に、自分自身にけじめをつけること、そして、社会の中にありながらも埋没することなく自立して活動する自分を見失わないこと、これらをはっきりと自分にも読者にも示すことが、まずは求められる覚悟ではないかと思う。なぜなら、コピペやテンプレートでしかないなら、その人の書いたものである必然性などないからである。

 

そして、何かを書くからには、批判や時代と対決する覚悟も必要だろう。戦わない文章、すなわち完全に普遍的で誰からしても自明で批判を挟む余地がないような文章は、おそらく存在しない。そうである以上、文章を生み出すのは著者の頭や心といった生易しいものではなく、自分の命を削り出してものを書いているのであり、インクは著者の血そのものである。

 

せめて、ネット上のデブリや検索妨害にならないようなブログでありたいと思う。